赤岩の忍たま視聴備忘録

忍たま視聴メモと幾つかの覚書

薬草採り日和の段(忍たま乱太郎26期20話)

「薬草採り日和の段」

忍たま乱太郎26期20話

 

新野先生のキョトン顔には、修羅と英知が隠されているに違いない。

ある日の朝、保健委員会委員長の善法寺伊作が元気をなくしているのを乱太郎に見つけられる。

どうやら「一緒に薬草採りに行く新野先生を、自分の不運体質が引き起こす不運な出来事ででご迷惑をおかけするのではないか」と不安がっている様子。

実際、二人の道中にはこれでもかというばかりのアクシデントに見舞われた。しかし新野先生はどれもこれも「これは運がいい」と、次の行動に移るための対策を練ることに努めた。そして「保健委員会の仕事だというのに」帰り道は笑顔で(凹まないで)歩くことができた。それだけでも、伊作にとっては今後の安心材料になっただろう。

 

ここで新野先生がとった行動について、軽く分析してみたい。

 

伊作が「不運だ」と嘆いてばかりいるところに対し、新野先生は「そんな不運不運と言ってばかりだと本当に不運になりますよ」とたしなめた。
これはなかなかポジティブ思考に移れない伊作を励ますだけでなく、
いわゆる「言霊」というべきか、声に出してしまうことによるマイナスの自己暗示から彼を救い出そうとしたのではないのだろうか。

また、雨が降ったらフキの葉を傘にする、斜面を滑ったら獣道を探す、橋が壊れ川に落ちても「対岸に着けたこと」に安心する、などなど。
眼の前のことに一杯一杯にならず、「一歩先の行動を見据える」力を身に着けているのが伺える。
新野先生がどのような経歴を持っているのかはまだ明らかになっていないが、忍術学園の保健室を任されていることから相当な修羅場をくぐり抜けている可能性が高い。
例えば戦場で、次々に患者が運ばれるなど瞬発的な決断力を求められる場面もあったかもしれない。
今回のような「フキの葉の傘」も、そのようないのちの戦場で養われた「一歩先を見る」力のひとつなのかもしれない。

最後に、伊作にとって「何を持って不運というべきか」の問題にも触れておきたい。
忍者は主君の名は絶対になる。その中で最良の成果を隠密に成し遂げなければならない。運・不運だと言っていられないのである。
今回の新野先生は易しめにたしなめたものの、雑渡昆奈門には「忍者には向いていない」ときっぱり言われてしまっている伊作。
その行く末が心配でありつつも、今日あった幸運に感謝する「いいこと探し」の姿勢を、もしかしたら新野先生は教えたかったのかもしれない。